大切な友人とスタンのこと
わたしが老犬介護をライフワークとしたきっかけ
老犬ホームオレンジライフ湘南代表 堀内理恵
彼女との出会いは8年前。
たまたま毎日のお散歩ルートと時間帯が同じだったことや、同世代ということ、そして何よりも彼女の愛犬に対する優しく愛情あふれる姿勢にひかれて、あっという間に仲良くなりました。
明るく快活で、誰に対しても優しい態度を崩さない彼女の周りにはいつも多くの犬仲間が自然に集まってきました。
彼女のパートナーは大型犬で当時13歳。ここでは仮名をスタンとします。
スタンはとても穏やかで小型犬にもやさしく、散歩やドッグランで彼女との時間を心から楽しんでいる姿に誰もが癒やされました。
そんな幸せがずっと続くと思っていましたが、運命は残酷です。
あんなに走るのが大好きだったスタンの後ろ脚に異変が起こりました。
走るのを避け、歩いている時にも後ろ脚だけ何だかぎこちない。
そんな異変にすぐに気づいた彼女は、ずっと通っていた近所の動物病院にすぐに駆け込みました。
しかし、そこでは病気の診断はつかず「年齢が年齢なので、ある程度関節に問題が出てくるのは仕方ないですね」と言われただけ。
年齢に対する覚悟は彼女の中にある程度できていたため、その宣告をすんなり受け入れ、自宅に帰ってから
「走れなくても、たとえ歩けなくても、ずっと一緒にいるから大丈夫だよ」とスタンに語りかけたそうです。
ただ、この決断が後々、彼女を大きく苦しめることになってしまいます。
徐々に進行すると思っていた後ろ脚の不調が、1か月もしないうちに急激に進行してしまいました。
距離を短くしてお散歩に行ったり、歩行介助のための補助ベルトを使ってみたり、、、。問題が起こるたびに、私も彼女と一緒にいろいろと調べて、補助ベルトの調整やマッサージなど、考えられることは何でも試してみました。
それでも進行は止まらず、数ヶ月の後には自力で立ち上がることさえできなくなってしまいました。
お外が大好き、人が大好き、他のワンちゃんが大好きなスタン。
それなのに、散歩に行くことを極端に嫌がるようになり、以前のような豊かな表情はほとんど消えてしまいました。
カートを使ったお散歩なども考えましたが、彼女は「一度、歩くことを諦めてしまったら、もっとひどい状態になってしまうかもしれない」と考え、なかなか実行にうつすことができませんでした。
最初のうちは精力的にいろんな対処法を考えていた彼女。
この頃から、頻繁にスタンを優しくなでながら「ごめんね」と繰り返し繰り返し口にするようになりました。
あまりに頻繁なので「何を謝ることがあるの?だってこんなにいろいろとしてあげているのに」と聞くと、彼女はこう答えました。
「なんでかかりつけの動物病院にしか診せなかったんだろう。あの時に、あまりに早く覚悟を決めてしまった自分の決断のせいで、スタンはこんなに辛い思いをしているんだよ。関節の専門の病院とかもあるのに、何で出来ることをやらないままにしちゃったんだろう、、、。」
病気や老化の進行には個体差も大きいし、彼女の決断が直接的に現在の状態につながったわけじゃない。
これだけ、いろいろと世話をしてくれていることはスタンだってちゃんとわかってくれているよ。
少しでも力になりたくて、いろんな言葉を重ねましたが、彼女の悲しそうな表情は変わりませんでした。
専門医の診断を受けに
「だったら、今からでもできることをしようよ」
落ち込む彼女をやや強引に説き伏せ、数日後、スタンを整形外科 専門外来に連れていきました。
行きの車の中で、彼女の様子はすっかりいつもの状態に戻っていました。
いえ、戻っているように「見せて」いました。
私が心配していることを申し訳なく思い、これ以上心配かけたくないという表面上の明るさだったのでしょう。
その明るさが逆に心配でした。
会話がふと途切れた時、彼女はぽつりとつぶやきました。
「なにか取り返しのつかない病気だったらどうしよう。」
なぜ、彼女が他の病院に連れていきたがらないのか不思議でしたが、これが原因だったのでしょう。
「そうしたら、その時にできることを一緒にさがそうよ」
私がそう答えると、彼女は「そうだよね。うん。そうだよね。」と自分に言い聞かせるように何度もうなずきました。
病院に着き、長い待ち時間の末、さまざまな検査を受け、、、。
担当の先生から伝えられた結果は「加齢変化によるもの」でした。
急速な進行の原因は明確にはわからないけれど、スタンの骨格バランスによるものではないかと。
その結果を聞いたときに、彼女の表情が一気にゆるみました。
数カ月前にかかりつけの獣医さん以外にすぐにみせなかったことをよほど悔やんでいたのでしょう。
そこからは、先生に迷惑なんじゃないかとこちらが心配になるほど、今後の生活のアドバイスやリハビリなどについて多くの質問を次々に投げかけていました。
いつもの状態に戻った彼女を、部屋の隅で私とスタンは一緒に眺めながら、「ちょっと図々しすぎだよねぇ笑」なんてコソコソとスタンとおしゃべりしていたあの時。
スタンもいろんな検査で疲れているのにも関わらず、頭をしっかりと上げて、彼女を見つめていました。
「大変な状況には変りないけれど、すべきことがはっきりして良かった」
そう言う彼女には、いつものパワーがみなぎっていました。
獣医師のアドバイスにより、家の中での歩行訓練は短時間で複数回行っていくこととし、外へ出るときにはカートを使用。筋肉の増強のため、フードもタンパク質が多いものに変更しました。
スタンも新しい生活のパターンに少しずつ慣れてきて、以前のような表情が少しずつ戻ってきました。
私の住んでいる地域は犬を飼っているおうちが多く、カートに乗ったスタンにいろんな方々が声をかけてくれました。
「今日も元気だねぇ」
「スーちゃん、なんだかちょっと太った?」
「今日は寒いから気をつけるんだよ」
その度に、微妙に小さくシッポをふるスタン。
その控えめさがなんとも可愛らしく、彼女にも私にも自然な笑顔が戻ってきました。
こうやって、穏やかで幸せな日々が続いていくといいなと、彼女も私も祈っていました。
でも運命は残酷です。
それから半年ほど経って、スタンに新たな異変が起こりました。
スタンの笑顔が消えていく
多くの人の愛情に包まれて、幸せな日々を送っていたスタン。
なのに、いつの頃からか、カートに声をかけてくれる人に対する反応が消えていきました。
最初はシッポの動きが無くなり、次は声をかけてくれる人に目線をむけるだけで顔をあげなくなり、最後には目線さえも送らない。
そんな様子を心配し、彼女も私も毎日時間をみつけてはスタンに声をかけました。
反応していないようにみえても、刺激を送り続けたら、少しは改善するかもしれない。
そんな必死の思いでしたが、スタンの表情は変わりませんでした。
そんな様子に彼女は悲しみつつ、がんばって現状を受け入れようとしていました。
「無理しなくていいよ。いてくれるだけでいいんだから」
スタンに優しく語りかけながら、身体をゆっくりとマッサージ。
そんな彼女の姿をみながら、私は少しだけ彼女自身のことを心配していました。
その頃には、ほとんど寝たきりになっていたスタン。
排泄の問題も多くなり、下半身を汚してしまうので、その度に身体をきれいにしてあげたり、夜中も排泄を促すために何度も起きたり。
寝返りさせるだけでも、大型犬のスタンを動かすのは重労働。
さらに「一瞬でもスタンに不快な思いはさせたくない」と、外出も出来る限り控え、買い物に出ても最低限の時間でぱっと済ませて大慌てで帰宅。
あれだけ愛情深い彼女だから、その行動は当然といえば当然でしたし、「あそこまでできるなんてすごいな。スタンは幸せだな」と感服しつつも、何かにとりつかれたようにスタンの介護にすべての精力を傾ける彼女がいつか倒れてしまわないか、漠然とした不安を私は感じていました。
万が一の時に「出来る限りのことはやってあげた」という納得感も絶対に大切。
それを考えると、余計なことは言わないほうがいいのかな、、と思い、たまに「今日はスタンみててあげるから、ゆっくり遊んできなよ」と声をかける程度にとどめました。(その誘いは、彼女にすべて断られましたが)
毎日、ぼーっとしているスタン。
そんなスタンにある変化が現れました。
ふとした時に「キュー」と声を出すようになったのです。
これまで、ほとんど吠えることがなかったスタン。
「なんだろう?甘えたいのかなぁ」
彼女は不思議がりながらも、表情が消えてしまったスタンに何かしらの反応が現れたことを喜んでいました。
でも、これがさらなる悲劇のはじまりだったのです。
夜鳴きとの終わりのない戦い
ある深夜のこと。
夜鳴きは突然はじまったそうです。
彼女だけでなく、ご主人も、お子さんも、家族全員がスタンのいるリビングにかけつけました。
排泄したい?
どこか痛い?
寂しかっただけ?
いろいろと考えられることへの対応をしてみましたが、夜鳴きに変化はありません。
「どうしよう、、、」
彼女が途方にくれていると、10分ほどたった頃、いきなりスタンは鳴き止んだそうです。
次の日に動物病院に連れて行くと、特に異常はなし。
「認知症ということも、少し考えておいた方がいいかもしれませんね」と先生に告げられました。
残念なことに、夜鳴きの頻度はどんどん高くなりました。
近所に対しても、非常に気をつかう彼女。
深夜にスタンを連れて車でいっしょに寝たことも何度もあったそうです。
「時間あるときなら付き合うから、遠慮しないで声かけてよ」と彼女に言ったことが何度かありますが、これ以上誰かに迷惑はかけられないと彼女は頑なにその提案を拒否しました。
彼女を極限まで追い込んだのは、同じマンションに住む愛犬家の方でした。
大型犬をこれまで何頭も飼ってきており、しつけにも厳しく、犬に対する愛情も深い方でしたが、残念ながら高齢犬の認知症に対する知識が乏しく、「夜鳴きをさせるのはしつけがなってないからだ」と彼女を事あるごとに攻め立てたのです。
寝る時間もなく、疲労困憊している彼女に直接文句を言うだけでなく、近所の方にも「あの家は犬を飼う資格がない」とふれまわる始末。
話を聞いて、言葉にならない怒りがふつふつと湧き上がりましたが、彼女は「でも、迷惑をかけてしまっているのは事実だから、、、」と。
これ以上、揉め事を起こしたくなかったのでしょう。私も余計なことをして、彼女の負担をさらに増やすことだけは避けたかったので
「話だけならいつでも聞くし、こっちも余裕が無い時はきちんと伝えるから、もっと甘えてくれていいんだよ」
そう伝えた瞬間に、彼女が堰を切ったように号泣し始めました。
「ゴメンね。ゴメンね。迷惑ばかりかけて、、、本当にゴメン。」
そう言いながら長い長い時間、彼女は泣き続けました。
その号泣がようやく収まり、長い沈黙の後に
「スタンがいなくなってくれればいいのにって、、、そんなことを考えちゃうの、、、、。」
そう彼女は一言つぶやき、その言葉に自分自身でショックを受けたのか、また泣きはじめました。
彼女が落ち着くまで側にいようと思っていましたが、彼女から「一人になりたい。お願いだから、今日は帰って」と何度も言われ、已むを得ず部屋を出ました。それがスタンとの最後のお別れだとも思わず。
深い後悔と未来への誓い
家に帰って、彼女にメールしました。
返事は無し。
数日後電話しても出てくれません。
彼女はスタンの死を望んだ自分のことが許せなかったんでしょう。
または、誰かにこれ以上の負担をかけることに耐え切れなくなったのか。
もしかしたら、私が不用意に彼女を傷つけるようなことをしてしまったのかもしれません。
本当のところはわかりませんが、心配で心配でたまらなくなった頃に偶然近所のスーパーで彼女を見かけました。
遠くの方でいつものように素早く、必要最低限のものだけをカゴに入れていく彼女。
彼女もこちらに気づきました。
一瞬、驚いたような表情をみせ、次の瞬間、軽く会釈をして足早に去っていきました。
そのことにショックを受けながら、彼女の無事と、急いで買い物をしていることからスタンの無事がわかっただけでも良かったと少しだけ安心しました。
それから一年後、彼女から一通のメールが届きました。
「一週間前、スタンが亡くなりました。本当にごめんなさい。」
ご冥福の言葉と、そのうち食事でも行こうよという内容で返信をしましたが、やはり返事はありませんでした。
彼女の心が落ち着くまで、まだまだ時間は必要でしょう。
それをいつまでも待つつもりでいます。
もっと自分にできることがあったんじゃないか。
どうしたら、あんな悲しいできごとを避けられるのか。
何が正解なのか、今でも正直わかりません。
結局、助けてあげられなかったという深い深い後悔も残っています。
でも、一つだけ確かなのは、それまでたくさんの幸せな時間をともに過ごしてきた愛犬との日々が、最後の最後に悲劇に変わってしまうのは絶対に間違っているということ。
きっとこのページにたどり着いた方々は友人と同じように、愛犬にこの上ない愛情をそそいでいる人ばかりだと思います。
そして、きっと愛犬のためならかなりの無理をしてしまう人なのではないかと思います。
そんな方々の力になること。
そして飼い主さんの笑顔が増えることで、ともに暮らすワンちゃんも幸せになること。
誰もが最後まで愛犬と幸せに過ごせるような未来をつくること。
その実現のため、在宅介護も応援できるような老犬ホームを設立しました。
老犬介護はたしかに楽ではありませんが、動物関連の悲惨なニュースも多い中、愛犬のために力を注ぐ飼い主さんの姿に日々、大きな力と希望をいただいています。
その恩返しのためにも、このサイトでは老犬ホームの経験を活かし、さまざまな老犬介護に役立つ情報をご提供してまいります。
彼女とスタンを助けてあげられなかった分、今まさに苦しんでいる方とワンちゃんのお力に少しでもなりたいと心から願っています。
「人も愛犬も最後まで幸せな毎日を」
オレンジライフ湘南の理念を実現するため、これからも素晴らしいスタッフ達とともに邁進していくことをお約束いたします。